はじめに、
地震によって、大きな被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。
あの日から、あっという間に10日が過ぎ
でも、色々な事を考えた10日間。
地震があった日は、私の誕生日でした。
一生忘れられない誕生日となりました。
その日、
地域の、大地震ですというアナウンスとサイレンが鳴って、すぐに子供達を抱えた。
そして、大きな揺れに怖くなり家の外に。
怖かったのか、かわいそうに、ハルはあごをガクガクと震わせていた。
家は海のそばなので、津波が怖くなって、
知り合い宅に一晩避難、余震が続いて一睡も出来ず、
テレビで見る映像には言葉が出なかった。
毎日の余震に落ち着かない日々、
放射能の事も怖くて、祖父母のいる鹿児島への避難も考えたけれど、
やはりやめることにした。
私たち国民を守るため、
原子炉付近で命がけで作業している何十人もの人たちの事を知り、
そのコメントに涙がでた。
怖い放射能、怖い怖いとみんな逃げるけれど、
そのこわいものを作っているのは電気を使って暮らしている私たち
停電になって、電気の有り難さ、無駄使いをしていたことに気づく
そして、電気が無くては生活できないのだと痛感する
今日かけた掃除機だって、大切な人と連絡をとり合う携帯だって、
この地震の状況を詳しく知ることができたテレビだって、
こうやって今向かっているパソコンだって。
悔しいくらいに、電気のある生活
電気を使い続ける限り、その 怖いもの は増え続けていく。
いっそ全てが風力発電になればいいと思うけれど
この国の電気をまかなう程の電力を作るには、気が遠くなるほどの本数がいる?どのくらいはてしなく広大な丘が必要なのか、日本では無理なのか?海だったら?錆びる?
それなら、風力発電、原子力発電、水力発電、火力発電など
電力会社を私たちが選べたらいいのに とか
色々な事を勝手に考えてみる。
そんなふうになったなら、迷わず風力発電を選ぶけれど、
とにかく、今からできることは、暮らしを見つめ直し
今まであたりまえのように使っていた電気を、少し減らしていくところから始めてみようと思う。
人間は、欲深くなりすぎたのかもしれない
何もかもが豊になりすぎてしまったのかもしれない
でも、それは、ほんとうに豊かなのか
豊かさとひきかえに、何かを 無くしていないかな
停電なんて、
一瞬にして家族や家を失った方々の辛さを考えると、なんてことないです、
買いだめもしません
地震の一週間後、
篠先生が皆で遊びましょう、 とお声をかけてくださって、大きな公園に子供たちとお母さんたちが集まり、
大人も子供も一緒になって、背中相撲や手つなぎ鬼、最後は、みんなで輪になって見えないボールで遊びました。
寒い日だったけれど、寒さなんてなんのその
子供たちは体いっぱいの笑顔で遊んでいて、遊び道具何一つ無くてもほんとに楽しそうでした。
物がある豊かさでも便利さでもない
そこには、大切なものがたくさんありました。
被災者の方々にあたたかい手が差し伸べられているのを知ると
こちらまで温かい気持ちになって、私もできることを何かしようという気持ちになります。
人と人が、手と手が、心と心が
つながるって素晴らしい、思いやりってあたたかい、
一番大切なこと、
人間にとって一番必要なこと、
こういう豊かさに溢れる世の中になったら、なんて幸せなことでしょうか。
震災で、色々な事を考えたり、気づいたり。
今まで通りに戻る前に
いきすぎた欲を少し洗い流す事ができたなら
大切なものに目を向けることができたなら
本当に豊かな世の中に近づけるのかもしれない。
今は、とにかく
被害にあわれた方々の涙が笑顔になる日が一日でも早くおとづれるよう祈ります。
私には、少しの寄付しかできないけれど、、、
赤ちゃん用品や石けんなども送ろう。
ここで私ができることを探そう。